蚊女☺︎

石川県の大学4年生。マスクしてたら蚊女って言われたよ。そんな日々を話していくよ。

ポルポト政権

 

カンボジアに行って

何学んだかなって

振り返りをしていたら、

 

ポルポト政権

 

キリングフィールド

トゥールスレン収容所

行ったなあと思って。

 

何から話そう。

ポルポトとは、

1975年から1979年と約4年間

カンボジアを支配した

共産主義政党「クメール・ルージュ」の政治的指導者。

約170万人、当時カンボジアの全体人口の25%が

飢餓、処刑、病気、過労で亡くなった。

4人に1人は死。

 

キリングフィールドでは、

殺された人の頭がずらりと並んでいた。

木に打ち付けて赤ちゃんを殺した実際の木や、

死体が埋められている場所、

巨大なスピーカーがぶら下がっている木、

何故スピーカーかと言うと、

処刑している際の叫び声をかき消すため。

 

弾の節約のため、ナタや刃物で処刑していた。

私は殺されるなら1発がいい。

紙で指切っただけで

ひいひい言うよ。

人の命より弾の節約???

いや、

なら人、殺すな。

 

 

思い返すと、

そんなことが行われていたのが

嘘みたいに穏やかで、綺麗だと思った。

残虐性を目の前にして、

綺麗とはとても不謹慎だが、

もののけ姫の森みたいな

神秘というか

そんな悲惨な場所に見えないくらい

穏やかな場所だった。

いや、

穏やかだと思い込みたい気がする。

現実逃避をするみたいに

綺麗な思い出にしたい

私のエゴな気がする。

悲惨なところは目を背けている。

うん。

 

 

 

その中でも、

政治班収容所 トゥールスレンは悲惨。

約2万人が収容され、

生還者は12人。

倍率1666.6倍。奇跡。残酷。

生々しい当時の血や、

叫び声が聞こえてくるくらい

生々しい。

殺された人の写真が

ずらりと並ぶ部屋があった。

目が真っ直ぐだった。

どんなことを思い、写真を撮られたのだろう。

撮っている人はどんな顔?

どうして?なんで?何したの?

 

ひどいひどいひどい拷問が

続いていたため、

死ぬ直前、笑みを浮かべる人が大半だった様だ。

理由は、やっと楽になれるから。

 

笑顔は楽しい、嬉しい、ハッピーなときに出るもののはずでは。

いや、嬉しいから笑顔だけど、

嬉しい理由が、ポルポト政権の異常さを物語る。

 

 

残虐さを語るにはキリが無いけど、

なんというか

私あんな思いしたのに

すっかり忘れてるやんと思って。

人って"ジブンゴト"にならないと

動かないし、感じない。

知ることも十分な進歩だけど、

じゃあ今の私たちには何ができるのかって。

 

 

自由に起き上がることさえも出来なかった

お風呂も入れない

濡れた床の上で寝ることを強いられ、

皮膚炎になるものも少なくなく、

水責めされ、爪を剥がされ、

時には、生きたまま手術のモデルをさせられる。

 

個人の尊厳は無かった。

奪われた。

人対人なんかじゃない。

 

そんなことが、

当たり前だった日常もあったことを

忘れずに

 

今、目の前にある日常の幸せに

感謝をすること。

 

 

幸せがありふれ過ぎてるな。

カンボジアに行った経験を意味を

もっと"ジブンゴト"に、

噛み砕きたい。